「スズキ?」
「はい。唐渓に通っていて、今は美鶴と同じ二年生です。それで、あの、私には兄がいて、今は23歳で… あ、誕生日過ぎたからもう24歳かな? と、とにかく、兄も昔は唐渓に通っていて」
支離滅裂だ。何を話しているのか自分でもわからない。そばで聞いている美鶴が目を点にするのもわかる。だが、それでもツバサは止める事ができなかった。
「でも、兄は高校二年の時に唐渓を中退してしまって、家も出てしまって、今はどこにいるのかもわかりません。それで、あの、小窪さんなら兄の事を知っているって聞いて」
「あなたのお兄さん?」
だが智論が記憶を巡らしても、スズキという男性に心当たりはない。スズキという名字はありがちだが、親しい同級生にはいなかった。
「ごめんなさい。話がよくわからないのだけれど」
とにかくしゃべりまくる相手を宥めようと、智論は務めて冷静に口を開く。
「スズキと言われても、私にはよくわからないわ」
「あの、でも小窪さんなら」
「私なら知っていると言ったのは誰?」
「安績さんです」
ツバサの即答に、だがそれでも智論は首を捻る。
「アサカ?」
「はい、唐草ハウスっていう、孤児院のような養護施設のような家を管理している女性です」
「孤児院」
智論は今まで、そのような施設に関わりを持ったことはない。人違いではないかと答えようとして、だがハッと息を吸った。途端に記憶が遡る。
紅葉の始まった赤色や黄色に混じって、まだ緑も多く残る、とにかく植物の多い落ち着いた庭だった。そんな場所で、その人物は自分と向かい合った。
身体はそれほど大きくはなく、澄んだ瞳が印象的だった。芯の強い人間なのだなと智論は直感した。年齢は一つしか違わないのに、ずっと年上で、ずっと自分より大きな人間のように思えた。
その少年は、まっすぐに自分と向かい合い、ハッキリとした声を発した。
「僕が涼木魁流だけど、君は?」
「スズキって」
智論は過去の余韻を引き摺りながら口を開く。ぼんやりとした声だったのだろう。ツバサが聞き返す。
「え? 何ですか?」
「あの、あなたのお名前、スズキって言ったわね?」
「はい」
「それって、ひょっとして、涼しいという漢字に木辺の木かしら?」
「あ、はい、そうです」
答え、ツバサは付け足す。
「よく、リンリン鳴る方の鈴と間違えられます」
やっぱり。
同じような事を、涼木魁流も言っていた。
この子は、あの人の妹なのか。
なぜだか愕然としたような感情が湧く。あの時のあの人の妹と今、私は話をしている。
震えそうになる声を必死に整え、智論はゆっくりと、一言一言を発していく。
「確かに、あなたのお兄さんは知っています。知っているとは言ってもそれほど親しくはなかったけれど。中退したことも知っています」
そこで一呼吸置き、小さくため息をついた。
「でも、今どこに居るのかなんて事、私は知らないの。残念だけれど」
「あの、でも、兄の事は知っているのですよね」
「知っていると言っても、数回会っただけで」
「じゃあ、どうして兄がいなくなったのか、理由だけでもわかりませんか?」
そこで智論は絶句した。
どうして涼木魁流がいなくなったのか。どうして彼が高校を中退したのか。それは―――
智論はゴクリと生唾を飲んだ。
理由は、知っている。いや、正確に知っているワケではない。だが、たぶん全くの見当外れではないだろう。
運命のようなものを感じた。まさか今頃になって、妹と名乗る人が出てこようとは。
何か大きな力のようなものを感じながらツバサの質問に素直に答えようとして、だが途中で思いとどまる。
妹と名乗る少女の隣には、美鶴がいる。彼女も、この会話を聞いているのだろうか? 聞いてはおらずとも、後から、この電話を切った後に聞かされるのだろうか?
瞬間、智論の全身を不安が包む。
この二人の少女は、いったいどのような関係なのだろうか? ひょっとして美鶴ちゃんの数少ない友達?
友達が少ないというのは、今日一日、霞流邸での寂しい会話の中でようやく聞き出した事実の一つ。少ないというより、ほとんど皆無のようなものだと言っていた。
涼木魁流の中退の理由を告げれば、それは美鶴にも伝わるのだろうか? それを聞いて、彼女はどう思うだろう? 慎二への想いを再燃させてしまうだろうか? もっと知りたいと思ってしまうだろうか?
慎二の名前を出さずに、涼木魁流の中退の理由を説明できないだろうか?
だが智論は一瞬で判断する。
できない事もないだろうが、少し不自然にはなるだろう。なぜならば、彼が中退したのは付き合っていた彼女の死が原因であり、彼女の死の原因には―――
智論は携帯を握り締めた。
因縁? 運命? そんな言葉で片付けてしまうにはあまりにも出来すぎている。何かの悪戯だろうか? だとしたら誰が?
「あの?」
黙ってしまった相手に向かって、ツバサが恐る恐る口を開く。そんな相手に智論は一度大きく息を吸い、心を決めた。
「原因は、たぶんわかると思う」
知っているのに、隠すのは卑怯だ。
「でも、原因のすべてを知っているワケではないわ。私は当事者ではないから、事情の欠片くらいしか話せない」
「構いません」
「それに、内容はとても複雑だわ。今ここで、電話で話せるような内容じゃないの」
「あの、じゃあ、会いに伺います。明日にでも」
「明日? いいけど、でも私、明日は大学の講義があって」
「終わるまで待ちます」
どうせ自分だって明日は学校だ。終わってからしか行けない。
「学校が終わってから伺いますから」
その言葉に智論が笑った。
「終わってから来れるかしら?」
「え? それはどういう事ですか?」
「私、滋賀に住んでいるの。大学もそこ。学校が終わってから滋賀に来て、私に会って話を聞いて、その日のうちに帰る。できない事ではないけれど、ずいぶんハードね」
「し…」
滋賀。って、どこだっけ?
などという、滋賀県民にはとても失礼な疑問を頭の中に浮かべながら、それでもツバサは食い下がる。
だって、せっかくのチャンスだもん。諦められない。
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